ペイントボールゴーグル試作体販売開始しました。

ペイントボールゴーグルメーカーとして動き出した経緯

ペイントボールゴーグルメーカーとして動き出した経緯

当社代表である森田は2008年まで、サバイバルゲームの競技化を図るため主催者として大会運営をしていましたが、2008年に日本人でありながら米国で当時世界ランキング10位の選手にスカウトされ、東京都稲城市にある「多摩ヒルズ」と言われていた米軍基地で初めてペイントボールを体験、競技にのめり込み2011年には多摩ヒルズの大会でチーム優勝する事が出来ました。

しかしながら翌年2012年より米国の事情により多摩ヒルズのペイントボールフィールドは閉鎖、更にはペイントマーカーが準空気銃扱いになり威力規制が入り日本におけるペインボール事業は衰退の一途に入ります。
実は当社からくりシステムは2016年に本当はペイントボールゴーグルメーカーとして開始するつもりでしたが、多摩ヒルズの閉鎖により、実質活動の場がなくなり仲間との交流もなくなってしまったことから、ペイントボールゴーグルメーカーを断念してトライアスロンバイクパーツメーカーをはじめた経緯があります。

 

ペイントボールゴーグルメーカーとして動き始めた経緯


↑コチラが試作体赤鬼ゴーグル。ベルトで変身します!
2020年より世界的なコロナウィルスの猛威、今度はトライアスロン大会の取りやめにより当社も大打撃を受け、新商品ドライヴアシストボックスを発売したものの不発に終わり、事業主として新たな一手が必要と考えていました。
2021年12月より情報収集の一環として某ライブ会社にて配信をはじめました。
配信を始めるにあたり、近々の際立った実績がペイントボールしかなかった為、ペイントボールに対する意識調査を兼ねて、ペイントボールゴーグル破壊検査場作りから、ゴーグル作成の経緯等報告をする配信を今でも続けています。
ただ驚くべきは、1年の配信で当チャンネルのフォロワー数は600人を超えており、実際にペイントボールに興味がある!やってみたい!と思っている人は500人を超えていて、徐々に増えていくリスナー様に支えられ、本気でペイントボールゴーグルメーカーを事業として取り組む決意をしました。
結果試作体ですが、ペイントボールゴーグルが完成しました。
私は2008年当時、お恥ずかしい話仮面ライダーが好きで、響鬼にハマっていました。
多摩ヒルズでのハンドルネームは「赤鬼」です。
ノリで響鬼的なゴーグルを自作してかぶってペイントボールしてましたし、誰にも何も言われないので2011年の大会にも鬼ゴーグルかぶっていました。
それで優勝してしまい、たまたま日本でペイントボールの大会やっているのが珍しいと米国でネット配信され、それからというもの、実名で呼ばれなくなりました。
せっかくなので赤鬼も継続しようと考え今回の試作体も「鬼ゴーグル」です。
しかもベルトで変身します。
私のポリシーはこの世に無い高性能なものを想像し作り上げる事です。
前作不発だった製品の為開発した繊維状に割れるポリカーボネイトを使用します。
頭蓋骨や骨にあわせて当社しか出来ない樹脂を体に添わして作り上げています。
その仕組みを当社ではボーンシステムと名づけました。
樹脂の厚み分しか大きくならないので、体のシルエットが大きくなりにくい特徴があります。

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